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地震発生当日とボランティア

能登半島沖地震があった2024年1月1日、

その当時は金沢に住んでました。

そして去る2024年10月に、能登へボランディアへ行ってきました。

思いを文字にするにもちょっと心の整理も必要で、

遅くなりましたがブログにさせてください。

というのも、

忘れられる以前に本当に報道すらされない被災地を目の当たりにして、

その心情を文字にするのはちょっと難しかったんです。

被災地なので写真も無いです。

他の記事に比べて、ビジネスの知識だったりノウハウみたいな情報はありません。

一方的に言いたいこと、書きたいことを書いただけです。

ただこの記事を開いてくださったという事は、

今までの私の発信を見ていただいてる良い人たちだと思うので(今までXでつながってお会いした方は本当に素敵な人しかいません)

そんな方々に甘える形にはなりますが、
私のワガママも許してくれると思い記事にします。

目次

地震発生時

私と妻は、

実家へ帰るため、ちょうど金沢駅に入ろうとしてました。

元日です。

帰省や旅行もあってか、

「いつもより駅前の人が多いなぁ。」

なんて呑気に思ってた、

その時です。

行き交う人々のポケットやカバンから一斉に

あの不気味な警報音と

「地震です。地震です。」というガイダンスが鳴り響きました。

みんなのスマホから一斉にシンクロする様は、

揺れが届く前でも

今からはじまる異常事態を気づかせてくれるには十分過ぎました。

直後、

めちゃくちゃ大きな横揺れが襲ってきました。

生きてきて今まで感じたことが無いような揺れです。

池の水はあふれるし、

入口の柱と天井も崩れるかと思うくらい。

「この街灯が倒れてきてもおかしくないぞ」

と周囲を気にしてると、

直後、

駅の中から数百人が一斉に走って出てきました。

悲鳴とこの光景で、パニックになる人もいて、

正直、自分たちのことを考えるだけで精一杯でした。

普段偉そうに言ってても、いざとなると判断力は鈍りました。まだまだ未熟です。

後から知りましたが、

それで震度5強。

最大震度7の能登地方の揺れは、想像するだけで恐怖です。

その後、揺れは収まりましたが、

北陸の冬は寒い。

直後はネットにだって情報は無いので外でしばらく待つ。待つしかない。

というのも点検のため駅には入れないんです。

近くの商業施設も立ち入り禁止に。

1時間弱くらい待ってみましたが、

その日は全線運休が決まったとのことで家に帰ることにしました。

幸い、実家家族も無事とのことで。

40分ほど歩いて帰ったのですが、

その道中もなかなか衝撃的でした。

車道にできた30センチの段差

数十メートルに渡る歩道の亀裂

崩れたブロック塀でボンネットが潰れた車

いつもの散歩ルートでも何か空気も違うというか…。いかにもな有事の空気は心を削られましたね。

幸い我が家はそんなに被害もなく、

落ちて割れた小物と、

冷蔵庫から飛び出した卵7個とソースがボトル半分床に広がったくらい。閉まってた冷蔵庫が開いていたんで、かなり揺れたんでしょう。家にいたらそれはそれで恐ろしかったと思います。

いや、

たったそれだけではあったのですが、

駅での体験や

帰りの光景を目の当たりしたメンタル状態もあってか、

それだけの片付けもスムーズに、とはいかなかったです。

ありがたかったのは、

XのDMやLINEで心配のメッセージをいただいたこと。

確実に勇気にはなりました。

とは言え、

次第に明らかになってきた被害状況を聞くと、

金沢でも家が崩れたり、

能登の悲惨さになんとも言えない気持ちになりました。

この時は、

多少の寄付をする程度で、

能登のボランティアなんかもまだまだ受け入れられない、

というのは皆さんの知る所でしょうか。

報道もされないような能登の実状

秋にもなれば、

金沢市内の生活は元に戻ったような感じです。

でも、道路は未だに陥没や亀裂だらけ。

マンホール開いたままでポンプを入れてるようなところもありました。

そりゃあこっちまで手が回らないんだろうな、というのは想像できます。

それでも世の中では

「政府の対応が悪い」だの、

被災地での自撮りとともに「復旧が遅い」という有名人がいたり。

「実際に足を運んで発信してくれるのは良いけど、現場の人たちの気持ちは?作業にあたってる人たちの気持ちは?…うーん。」

なんて複雑な気持ちにもなったり。

私なんて、能登の方々からすれば当事者ってほどの者ではありません。

それでもなんとも言えない気持ちになったのも事実。

まぁ、そんな時に

ボランティア募集のSNS広告を目にしました。

ちょくちょく覗いていたのですが、

まだまだ人数制限で申し込みもできなかった状況です。

ただ、

その時開いたページで

平日に「残り1名」の文字。すぐ応募しました。

場所は「志賀町」という、

いわゆるニュースとかメディアで見る最も被害が大きかった奥能登ではなく、

もっと金沢寄りのところです。

こっち寄りなので現地集合でした。

とは言え、
出発はまだ空は暗い時間。

10月も朝になれば、少し冷たい空気。

なんだか神妙な気持ちで車のエンジンをかけました。

道中は、のと里山海道という道路があり、ほぼ一本道です。

地震から10ヶ月経ったこともあってか、

わりとスムーズに走れました。

ここに至るまでも現場の方々の力を感じつつ、

それゆえ

道中、改めて地震時のことを思い出したり、

被災地の状況を想像したり、

なんとも言えないピリッとした気持ちで運転してました。

集合場所に到着した頃には、

太陽も上がり、

普段なら清々しい朝なんでしょうが。

いや、

この日が特別なんじゃなく、

ここに住んでる方たちは、それが毎日なんですよね。

志賀町の実状

集合場所から当日の現場に向かうには、

ガードレールごと崩れている道、

信号もない交差点も段差やヒビだらけ、

ふと目をやれば、そこら中の瓦屋根にはブルーシート。

10ヶ月経過しているとて、1月の金沢市街どころの程度ではなかったです。

この日の現場は、個人宅でした。

個人宅と言っても、そこは田舎らしい大きめの日本家屋。

ここの2階を掃除してほしいと。

20畳くらいの広い畳の部屋。

2階に上がってみると以前もボランティアが入ったようで、

家具とふすまはすべて撤去されていましたが、

土壁が崩れ、砂埃が舞い、とても生活できる状態ではありません。

なのでこの日は、

この崩れかけた土壁と、20畳を2階の部屋から撤去する

という内容でした。

バケツに入れた土や畳を持ってひたすら階段の往復。

10人がかりで朝から夕方まで、丸一日かけてなんとか終わる作業量です。

確かに、

それだけは無くなりましたが、ほんとにそれだけ。

もぬけの殻になっただけで、まだまだ生活できる状況じゃありません。

でも、今日の作業はここまで。

家主さんも、
次の作業員やボランティアがいつくるかなんてわからないなぁ、と。

そんな状態の家の一階に今も住んでいらっしゃるんです。

胸がチクッとする…。

普段「判断基準が他者との比較にあるから、幸せにならないし、嫉妬もする」とは思ってますが、

自分がいかに恵まれた環境にいるか、、、思わず実感してしまいます。

あと、

一緒に作業したメンバーは、

石川県だけじゃなく、お隣の富山県、さらには奈良県、神奈川県、埼玉県など、本当に全国から集まってました。

職業も別に現場作業とか経験あるような方でもありません。

車で前日から出発したり、これだけのために飛行機で来たり、など、

貴重な時間と労力を使われている皆さんにも頭が上がりませんでした。

偽善でここまでできるわけないです。

冒頭でちょっと愚痴りましたが、こういう人たちもいらっしゃるのが救いでもあります。

以上ですが、

ただの感想です。

能登が元通りになりました、なんて言える日が来るのは

まだまだ先すぎる。

先日は、こんな記事も書きましたが、

あわせて読みたい
応援ありがとうございます 石川県を応援してもらえたので、ブログにしました。 2024年の元旦、ちょうど金沢駅にいたんですが、中々の揺れを体感しました。 間違いなく人生最大でしたね。能登はも...

ここまで当時のことや、被災地のことを文字にすることで心が整理できた部分もあります。

いつになく、まとまりがない文章で読みづらかったかもしれませんが、
読んでいただきありがとうございます。

ちなみに、私は被災地のボランティアというのは初体験でした。

事前に調べても、わからないことが多かったので、

今回、実際に持っていって使ったものを紹介して終わりにします。

能登に限らずですが、

誰かがボランティアへ行く際の勇気になったり、参考になれば幸いです。

持っていったもの

100円ショップで買った

  • 滑り止め付き軍手

ワークマンで買った

  • 防塵マスク
  • 防塵ゴーグル
  • 安全靴

マスクとゴーグルは数百円。

マスクもゴーグルもちゃんと防塵のやつじゃないと、作業できなかったです。

安全靴も3千円くらいでした。いま散歩用の靴にしてます。ワークマン安い、すごいです。

他に持っていったもの

  • 事前にコンビニで買った昼食
  • 飲用水2リットル
  • マイナンバーカード
  • 免許証
  • 汗拭きタオル


Fラン大中退ニートから、鬱寸前の会社員を経て、
副業+投資から、趣味も仕事も我慢しないフリーランスに転身しました。

ブログでコツコツに限界を感じ、
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なんのスキルも無かったわたしですが、
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この記事を書いた人

「教育×マーケティング」の専門家|SNSマーケは「教育」が7割です。SNS完全初心者でも絶対わかる正しい「教育」の使い方を発信。「教育」を0から身につけてマーケで最短で稼ぎたい人はフォローぜひ。|Fラン大中退ニート▶️鬱寸前会社員▶️副業で200万稼いで脱サラ▶️フリーランス

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