滝に打たれたことありますか?
私はありませんでした。
なので、1月に滝に打たれてきました。
滝行というか、お寺で半日修行です。
お寺に到着して、まずは白装束に着替え。
ほぼ布一枚なのですが、私は普段コールドシャワーとかやってるのでここまではそんなキツくなかったです。この時だけは…。
まずは、川のせせらぎが聞こえる山の中で瞑想。
「んー、わりと楽かも。なんなら気持ち良いまである。」
その次は、
お百度参り(体験版)
です。

裸足でここのコンクリの上を「走って往復しまくってお祈り」セットを10分くらい。
で、
そこに正座して、おでこも地面につけて、みたいな。
「あー、足の感覚ない。膝も痛い。ちょっとキツイ、けどまぁ。」
という感じ。
本来はこれを1時間やるらしい。体験版で良かった。
からのいざ滝へ向かいます。
車で10分ほど登ったところで、
なんか柵に封鎖されてる山道あるじゃないですか?
普段は、
「あの先ってなにがあるだろ?」的なことしか思ってませんでしたが、
今回立ち入ることができました。
その先にあるのは、舗装されてないただの山道です。

ちょっと呑気に、「東京にも普通にこんな山あるんやなー」とか思ってました。
この渓流の岩肌を10分ほど登る。
これだけでちょっとハァハァ言ったりして、
無事、滝へ到着です。
観光で滝見るときなんて、
「おぉー、マイナスイオンー」という浅い感想しかありませんが、
今回は違う。
高さ10m弱から落ちる水。
今までは、心地よさすら感じていた水面に打ちつける音は、
今日ばっかりは厳しさを感じざるを得ません。
「くっ…ここに入るのか…おもしれぇ…」
と奮い立たせて
いざ、入水…

正直、
「あれ、いけるんじゃね」と思いました。
1月の川の水って思えば、
そこまでキンキンじゃなかったです。たぶん東京だからっていうのもあるんでしょうけど。いや、寒いですけどね。
で、水かぶってから、
滝に入って、

「あ!息できんくね!声出しきれなくね!」
と、若干あった余裕は即ぶっ飛びました。
この滝行中は、お経を唱えるんですが、これが言えない。
普段、カラオケでもマイク無しでまぁまぁ行けるくらい声量あるんですが、
まぁ出ない。
「あれ?俺の発声ザコくね??というか、息が吸えない!!」
事前に「息できなくなる人がいるので、まずはリラックスしてちゃんと吸ってくださいねー」と言われてたんですが、
「くうぅぅぅぅ、吸いきれねぇぇぇ…」ってなってました。
キ、キツい。これ何分やるの。。。
と思ってるところで、
さらに壁際に押されて、水量アップ。
さらに、
最後はその場に座る。。。

川の中に座って、滝に打たれる。打たれまくる…。
考えることは「息!息!呼吸!と、お経!」だけ。
普段って「あれやらなきゃ、とか、ちょっとめんどくさいなーってYouTube見てサボったりとか、目標立てて、ちょっと追いついてないなー」とか、
なんか、色んなことが”勝手に頭に浮かんでは消えて”を繰り返してますよね。
それこそ、私も仕事辞める前とかは、「先月も売上目標足りなかった、、、次の会議も怒られる。あぁーでも、あのタスクも残りまくってるし、あーーー洗濯してなかった、、、あれ、ガソリンも入れて無くね、、、あ!会議資料の提出期限明日じゃん、なんで今日やっておかなかったんだ、、、」
みたいな、その時に解決することは不可能な雑念しか考えることができませんでした。
なんですが、
この滝行ってある種、究極の瞑想だなとやってみてわかりました。
ただ、滝に打たれてる時は、それどころじゃないです。
「今この瞬間に集中するしかない」状況です。
普段もマインドフルネスしてますが、
いうて、ちょこちょこ雑念は出てきます。
それに、
僧侶の方も「普段こうやって”今だけを考える”という贅沢時間を取り入れてみてください。」
ということもおっしゃってました。
そもそも、”今この瞬間だけに集中する時間”ってたしかに贅沢ですよね。
なるほど、修行の意味が少しわかった気がしました。
瞑想については、
わりと再生数が回ってるこちらの動画でも解説してますので興味あれば見てみてください。
いいですよ、瞑想。
まぁ、そんな色々がありつつ、なんとか滝行を無事終えて、
達成感はやっぱありました。
気持ちええぇーーー!
という。
やり終えて生まれて来たのは
圧倒的感謝
という、
宗教観満載の感想になるんですが笑
だってですね、
滝から上がれば寒いんですよ。
それでも、
タオルで身体を拭くだけで水気取れるって最高だ。
ヒートテックあったけぇ、柳井社長ありがとう。
こんな岩肌を痛みなく歩けるって、靴すごすぎる。
家に帰れば、電気が通ってて暖房もあって、お風呂にも入れる。
わかっていたつもりですが、
日頃の当たり前に改めてありがたみを痛感しました。
この日本では当たり前の生活も、世界に目を向けると当たり前じゃないです。
なんて恵まれた環境なのか…。
この状況で、サボるとかめんどいとか、言ってられないです。
自分の行動、ビジネスで救われる人がいるなら
全力でやって当然だろうと。
とは言えもう一回滝行やれと言われると
はいよろこんで!とはなりませんが、
非常に良い経験でした。
で、ですね。
そもそもなんで滝行したの、って話なんですけど。
「シンプルに色んな経験したい(人生おもしろくしよう)」
というのと、
「自分のコンフォートゾーンを常に広げ続ける」
という目的もあります。
人って、
本能的に変わりたくない生き物なんです。
どんなに、
今より稼げるようになりたい!とか思っていたとしても。
そっちのほうが理想の未来だったとしても、
おかしく感じるかもですが、現状から変わるのは嫌だ、というのが本能です。
というのも、
太古からリスクガバガバで狩りしたり探検したり行動しまくるやつより、慎重だった奴らの方が生き残れたからです。
その子孫が我々なので、
DNAレベルで「現状維持せよ」が刻み込まれています。
この現状維持というのが現代においては非常にやっかいです。
さっき言った”当たり前の”ありがたい環境がある現代の日本では、
生命の危機はそうそうないので、
リスク取りに行った方が得るものは多いです。
無形商品に数万円払うとか、コンサルに数十万払うとか。やったことない人にとっては、まぁまぁのリスクだと思います。
でも、命に関わることと比べれば、副業やビジネスをやるなんて本来リスクですらないです。
だからこそ意図的に「現状と違うこと」をやってくことをしないと、
本能に抗えません。
そもそも1月に山に行って滝に打たれるのは、
まぁまぁおかしいことですよね。
お金と時間を使って辛いことをするという。
でも、
ネットで個人で稼ぐとか、普通に考えて非常識じゃないですか。
日本の教育を受けてたら、これが常識外なわけです。
つまり、普通に生きてきたら
情報発信ビジネスで稼ぐということはコンフォートゾーン(心地よい状態)の外にあることです。
だから、
「現状と違うこと」を経験してコンフォートゾーンを広げるしかないんです。
非常識も当たり前にする。
そのために普段から非常識なことをしないといけないという考え方です。
なので、
滝に打たれたのは良かったです。
ただ、
全員が滝行した方が良いとも言いません。
ぶっちゃけ滝行経験者の多くの人は
「私は体験した側の人間です。すごいでしょう。あなたたちもやってみてはどうですか」
と言いたくなると思います。
未経験者からしたら、それなりにスゴいことだと思いますし。
たぶん、私もこれから何回かは、「滝に打たれたことあります」というハズです。話題のひとつとして。
そう、
滝行経験ある人って「私は滝に打たれたんだ」ということを言いたい。
だから、「一回滝に打たれてきたら人生観が変わるよ」というような発言をする人も絶対にいます。というか、いました。
これについては、
正直うるせーって感じです。
実際のところ、
滝に打たれたところで人生は変わりません。
滝に打たれただけで、
パーフェクトヒューマンになれるならやります。
でも、現実はそうじゃありません。
ちょっと辛辣ですが、
今まで何も成し遂げたことが何もなかったりすると、
こう言いたくなる気持ちもわからなくはないです。
でも、
今まで泥水すすってきたような経験しました、という人からすれば、
滝に打たれることは辛いけれど、人生変わるわーということほどでもないはず。
徹夜でコンテンツまくったとか
作業に没頭して気づいたらパソコンの前で突っ伏して寝てたとか
そういう経験していたら、
「滝に打たれることは素晴らしい、なんでやってないの、人生が変わるよ」なんて浅いこと言わないはず。
「滝行マウントニキ」がいるからこそ、
そういう風にも感じたんです。
これは自分で言うとちょっと傲慢に伝わるかもしれませんが、
経験者の方と話していて
真冬の滝に打たれるレベルのことは、
私たちの生活の中ではそれほど珍しいイベントじゃない、というフェーズにもなってきているのかもしれないとも思ったり。
いや、実際には辛かったですよ。
いうて半日修行なんで、あれを泊まり込みでとか1ヶ月間とかは、普通にやりたくないです。
でもこれもまた、
3年前の自分にはなかった成長だな、と。
それが体感できました。
色々語りましたが、
これも滝に打たれてみないと分からない部分もあるので、行かなくても良かったという話ではありません。
究極の瞑想状態の体験や日常への感謝という感情は、
今後の人生でも何かふと感じるキッカケにもなりそうです。
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